2017.05.17 Wednesday
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2008.12.25 Thursday
クリスマス、おめでとうございます♪(*´∀`*)
みなさん、どんなクリスマスをお過ごしですか。私はクリスチャンなので、クリスマス礼拝で、教会の皆さんとお祝いしました。
クリスマスが過ぎると、すぐそこに年末年始がやってきますね。みなさんも、ずいぶんお忙しいことと思います。
今年も、いろいろありました。
でも、今年も幸せと笑いに満ちた1年でした♪(ノ´∀`*)
さてー、私はあともう一仕事、ボランティアで動いたら、新しい年を迎える準備をしますww
もしかしたら、PCからは、これが年内最後のエントリーになるかもしれませんー。
また来年もpink一家をヨロシクお願いいたします♪(*´σー`)
2008.12.11 Thursday
7日は弟の嫁のお誕生日会で福井へ♪
カニが大好きなお嫁さん(私の中学の後輩デス)
海鮮には目がありません('-^*)
たっぷり食べて美味しかったデス♪(^〜^)
2008.12.06 Saturday
もうすぐクリスマスですね!!
みなさん、クリスマスというと、どんなイメージがありますか??
私はクリスチャンなので、みなさんとは考え方が少し違うかもしれません。
でも、少しだけ・・・。
最近、ずっと携帯からの更新ばっかりでしたから、今日は少しだけ、お付き合い願えますか・・・?
クリスマス・・・日本では、間違った文化になっているようです。
ある人は、サンタのお誕生日だと言い、ある人は、イエス様が亡くなった日だと・・・。
あららら・・・。
クリスマスは、私たちの救い主、主がお生まれになったこの日を喜び、命名のお正月までを祝う日です。
クリスマスが終わったらリースやツリーを片付けるのではなく、お正月まで飾るのが一般的です。
クリスチャンの私は、当然?クリスマスは礼拝に行きます。でも、たいてい平日なので、前後の日曜に礼拝になることが多いです。
クリスマスは、恋人たちのためのイベントの日ではなく、あくまで、家族やクリスチャン同士が集ってイエス様がお生まれになったことを喜び感謝する日です。
みなさん、クリスチャンというと、すごく清いイメージがあるかもしれませんが、決してそんなことはありません。
でも、これは、私に限ってですが(;´∀`)
他のクリスチャンの方々は、みな清い方ばかりです。
仏教にもいろんな宗派があるように、キリスト教もいろいろあります。おおまかに、カトリックとプロテスタント、そしてその中間をとるところがあります。
宗派によって、神社の鳥居をくぐるのもNGなところもあれば、お酒やタバコがOKなところもありますし、みなさんが思っているよりもずっと、意外とラフだったりするところもあります。
私が通う教会は、みなさんとても純粋なわりには、かなりラフで、牧師さんですら、お酒をたくさん飲んだりして、礼拝後は陽気に聖歌を歌ったり、冗談を言いあって、みんなで楽しく過ごしたりしています。
クリスチャンというと、とても清いイメージがありますが、私などは、ちっとも清くなんかありません。
憎しみを持つ心もあったり、人を疑ったり、愛することができないときもありますし、間違いなんて、数えられないぐらいたくさんおかしたりしています。
私の一番のモットーは、赦すことこそ愛です。
私のクリスチャンネームは、タビタです。
洗礼の際、牧師様がつけてくださいました。
タビタについては・・・聖書を引用します。
「 ヤッファにタビタ・・・訳して言えばドルカス、すなわち「かもしか」
と呼ばれる婦人の弟子がいた。彼女はたくさんの善い行いや施しをしていた。
ところがその頃病気になって死んだので人々は遺体を清めて階上の部屋に安置した。
リダはヤッファに近かったので、弟子たちはペトロがリダにいると聞いて
2人の人を送り「急いでわたしたちのところへ来てください」と頼んだ。
ペトロはそこをたって、その2人と一緒にでかけた。
人々はペトロが到着すると、階上の部屋に案内した。
やもめたちは皆そばに寄ってきて、泣きながら、ドルカスが一緒にいたときに
作ってくれた数々の下着や上着を見せた。
ペトロが皆を外に出し、ひざまずいて祈り、遺体に向かって
「タビタ、起きなさい」と言うと、彼女は目を開き、ペトロを見て起き上がった。
ペトロは彼女に手を貸して立たせた。
そして、聖なる者たちとやもめたちを呼び、生き返ったタビタを見せた。
このことはヤッファ中に知れ渡り、多くの人が主を信じた。
ペトロはしばらくの間、ヤッファで革なめし職人のシモンという人の家に滞在した。
(36〜43節)」
タビタのクリスチャンネームは、私にとっては、とても重荷なぐらいに大きな存在です。生涯をかけても、私は、タビタのようになれるだろうか・・・。
でも、牧師様は、私にと授けてくださったのがタビタでした。
私はみなさんもご存知なように、28歳のとき、抗癌剤や放射線の必要がある、大きな病気をしました。
一度死んでよみがえり、また善い行いをする、というタビタという人は、私にとっては、あまりにも大きすぎる聖書の人物です。
でも、この名前をいただいたときから、私は、間違っても、立ち止まっても、辛い思いをしても、タビタの名前に恥じないよう、自分のボランティアを精一杯努めているつもりですが、いつまでたっても、タビタのようにはなれません。
でも、がむしゃらになっていると、周りが見えなくなってくることもあります。
土日にボランティアで動いていると、礼拝を忘れるようになります。
礼拝は、私にとっては全てであり、心を清くするためのリセットの日でもあります。
でも、そんなことをおろそかにしている自分がいることに気付きます。
私の一番のモットー、赦すことこそ愛。
これが、いつも守られているか。いつもいつも、考えています。
赦すことこそ愛。私は、他にも、心がけていることがあります。
「善い行いをするときには、誰にも知られないようにしなさい」です。
「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。(中略)施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない、あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことをみておられる父が、あなたに報いてくださる。」(マタイによる福音書6章)」
左手と右手は、いつも一緒です。
善い行いをする際は、そんな近い存在であっても、左手が知らないうちにしないさいと。誰かに褒められることや、報いを望んですることではないと。
もう一つあります。
「罪のないものが石を投げよ。」です。
「人々はおのおの家へ帰って行った。イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。
しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」」
わかりにくいかもしれませんが・・・。
人を裁くことなんて、自分に罪のあるものができるものでもないということです。
私も、たくさんの過ちを犯してきました。
穢れた人間です。
人は誰でも過ちを犯します。だからこそ、人の過ちを正したり責めたりできるものではないと。
赦すことこそ愛、に繋がっていますが、私のモットーは、常にこの3つを忘れないように心がけています。
それでも、時々、ふと忘れてしまうときがあります。
肉親を憎んだりすることもあります。でも、それでも、いつでも赦してきたつもりです。
でも、それでも神様からすれば、私の赦しなどちっぽけなものです。
何度も何度も赦してきても、何度も努力しても、解り合えないときは、別々の道を選択することもあります。
でも、それも、神様の思し召しと思って、私にとって、その人にとって、何かしら意味があるものだと思って、そのまま前に進むこともあります。
私の3つのモットーも、貫くことができないときがあります。
そんなとき、神様の思し召しと思ってしまうことは、私にとって、ただたんに楽な考え方、逃げているだけなのかもしれません。
でも、そんな救いをくださったのが、イエス様なんです。
人はいつでも過ちを犯します。
行き所のない場所を求めるときがあります。
そんな心の癒しや救いの場をくださっているのがイエス様の言葉です。
イエス様の言葉に触れると、こんな私でも愛されているという幸せに満ちている実感が得られます。
みなさん、神様とか、イエス様とかいうと、宗教っぽくって、嫌がられるかもしれません。
でも、神様を信じてなくても、イエス様を信じてなくても、聖書には、人が幸せに、平和に暮らせるような言葉がたくさん載っているんです。
一度、読んでみてください。
そこには、たくさんの私たちへの愛が詰まっています。
みなさんが知らなかった「愛」がそこにあることに気付きます。
神様を信じていなくても、大切なことを思い出させてくれます。
一度、読んでみてください。
簡単な言葉が載っている本もたくさんあります。
「生き方を変える聖書の言葉」
簡単なものなら、これがオススメです。
「マザー・テレサ 愛のことば」
「The BIBLE for you―あなたのための聖書」
クリスマスには、みんなに贈っている書物ですが、少しでも、みなさんの心の平和がありますように願っています。
私と同様、迷えるたくさんの羊が、主のもとへ帰ることができますように。
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